ただただ思ったことを本当にとりとめもなく、呟く意味のあるようなないような。
普段は文章をきちんと順序立てて書くけれど、
たまには何も考えずにそんなことを吐き出してもいいかなと思ったり。
人はみんな悩むんです。そして迷ったり進んだり探したりで、生きたり死んだり、するんです。
—————————————————————————————————
人生ってなんだろうな、とおもったり、難しいな、と思ったり、本当に難しいのかな?と思ったり。
その昔友人に、「Julieの人生はなんかそんな風にできてるんだろうね。普通そんな色々なことばかり起きないよ。」と言われたことがある。
かと思えば、大学の教授には「普通その話を誰かがしても気にならんねんな。でもお前が話すとなんか面白くなりそうだな、どうなるんかな、って興味がわくねん。」と言われたこともある。
私が師と仰ぐ人は、何回も、まっすぐと、「お前を、彫ってるんだからな。」と言って。
昔別れた彼氏には、フラれたときに「Julieってなんか応援したくなる。だからきっと誰か応援してる人がたくさんいる。」と言われて。
昔の職場の退職時には、取引先の人に「次のフィールドでも思う存分暴れてください!」的な熱いメッセージを送られ。
大学の講師、自転車旅で出会った名前も知らない人、仕事関係で顔をよく合わせた人々、知人友人その他いっぱい。なんでか私は色々な人に期待され、応援され、励まされ、背中を押され、ただひたすらに未開の土地を歩いてきた。
自ら好んで飛び入りしていた冒険の旅は、いつからか自分の意思かそうでないのかもわからなくなって、もはや歩いているのか歩かされているのかもわからなくなって。
もう嫌だ、疲れた、進みたくない、孤独だ、寂しい、苦しい、泣きながらでも進むしかないって胸さけそうな歩き方すらしていた。
自分が見せた姿、自分で蒔いた種、体力があるときなら嬉しいその期待と声援も、重苦しくなって。私はそんなんじゃないですよー。昔はそうだったけど、少なくともいまは。そういうときじゃないんですよ。と思ったりもする。
ほんの少しの冒険心と、あとは平穏な日常がほしい。安心して眠れる暖かいベッドと、溢れる愛の在り処。それだけの素朴な生活がほしい。
見た目で得することもあれば、この見た目のせいでわかってもらえないことのほうがはるかに多くあるのだと、どうすれば理解してもらえるのかな。
本来であれば私はかなりコスパがよくて、ただひとつ、これさえあれば、この人さえいれば、どんな苦労も苦悩も乗り越えられる。だから、それ以外なにもいらない。だけどそれが縋って生きてる、依存だと言われれば、そうなのだろうか。